肯定文
下の例文、ざっと翻訳したら、どちらも「車を運転できる」と言うことなんだけど、
我會開車。
➡これは勉強を通じて、習得/練習したから得られた能力。 我能開車。
➡今の状態は運転の能力があるし、自分も運転しようの気持ちを持っている。つまり、主観的な気持ちがちょっと強い。
我可以開車。 ➡上の「能」と肯定文の場合は曖昧なんだけど、ただ「(もし必要だったら)車を運転できる」の事実を述べる。
まとめた例文を見て、さらに理解できるかもしれない。
因為學過,所以我會開車。如果我想的話,就算喝了酒,我還是能/可以開車,可是法律規定我是不可以開車的。
学んだから、運転できる。もし私がやりたいなら、お酒を飲んでも運転できる。ただ法律によると、運転は禁止されている。
もう一つの例文
沒有人生下來就會走路。 生まれてすぐ歩ける人はいない。 為了健康,他只要能走路就不搭車。 健康のために、彼は交通機関を利用しないで、歩くようにしている。
➡ここは正直「可以」も使えるが、「自身」の意識を強調のニュアンスがあるから、「能」を使うのほうが多い。
經過長時間的復健,他終於又可以走路了。長い時間のリハビリテーションを通して、彼はまたようやく歩くことができた。
「會」は多分もう理解できると思う、問題があるのは「能」と「可以」だね。ではもう一つ例文。
這孩子很能吃,一天能吃十碗飯。 この子はよく食べる、一日10杯ご飯を食べられる。
➡大食いは生まれからの能力だから、ここにこんな気持ちがちょっと表せた。
這孩子正在生長期,一天可以吃十碗飯。 この子今は成長期だから、一日10杯ご飯を食べられる。
➡単純に今の事実を述べる。昔はいっぱい食べられないかも。
これは本当に微妙なニュアンスの問題で、結論で見ると正直どっちで言い替えても問題ないです。問題があるのは否定文と疑問文。間違ったら全然意味が変わる。
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