リサイタルから1週間経ちました。
早いですね…みなさまにお気遣いいただいたお花はまだ元気!
今回、結構周囲からは「なんでシマノフスキなの?」ということを問われ(心配され?)まして。
(そこには譜読みも集客も難しいやろ、誰が喜ぶの?という裏のメッセージを読み取ります笑)
僕自身、初対面はじめっからシマノフスキ大好きというわけでもないので、これは終わった後どんな空気になるんだ?という気持ちも少しはありました。
しかしですね、いい曲をしっかりやろうと思うと、15〜30分の曲でも半年から1年はかかるんです。人生80年としても、弾きたい曲を全部できるかというとそうではないです。
奏者として好きだからやりたい、聴く人にも体験できる時間を作りたい、という気持ちと同時に、町の先生でも最高の指導ができるように、いろんな面で最高の曲をやるんだ!という気持ちもあります。
「一晩ソロリサイタルができない人は指導者として不適格」と僕は考えていますし、
「いつでも自分の音楽として弾けるソナタが何曲あるか、がヴァイオリニストの本当の実力」と、先生に言われた言葉も重い。
シューベルトのファンタジー、華麗なるロンド、
バルトークの無伴奏、
シューマンのコンチェルトといった過去に取り上げた曲は特にそういう曲でした。
どうしても市場のことを考えると、いわゆるわかりやすい小品やメジャーなソナタ、神聖化された曲、愛称付きの曲をやりがちです。
誰がどんな曲を弾いているか、は結構見るのですが、正直供給過多でしょう。
もちろん、空気づくりとか含めてそういう耳に馴染んだ曲も大事ですし、やりますが。
聴く人がコンサートに何を期待するか、という問題。
一瞬でもあ〜面白いなあとか、こんな音があるんだあ、とかくらいでいいと思うんですが、現実には「この有名人を聞いた!」というように話題を買うようなこともあるでしょう。この問題は、ミルシュタインのインタビューでも見たことがあるので、大昔からそうですし、無くならないと思います。
そもそもヴァイオリン弾きなんて星の数ほど(人によっては、掃いて捨てるほどと言います汗)いるわけで、どんどん若い子たちが出てきますし、コンクールも山ほど増えていますし、そもそも少子化で我々の世代とは全然競争も違いますし…考えることはとても多いのです。
会場などいろんな経費を見た時に、そのチケット代で絶対赤字だよね…というイベントも、応援席であったりクラウドファンディング的なものでギリギリ回るんだろうな?という企画もよく見ます。
すっごーい美貌や面白いキャラクターを自分が持っていればそれも活かせるのでしょうが、そうでもないので(笑)自分のスタンスでやるしかないわけです。
CDを通り越してサブスクの時代。弾く人も聴く人も、わりと音色や音運びについて画一的になってるんではないかと思います。
そういう中でも、今回の曲は全部、みんな明らかに違う!
そう、本当に好きな人しかやりませんから。
結果、初めましてのお客様から、わざわざネットに嬉しいご感想をいただきました。
特に、クルピエ地方の歌「いななけ仔馬よ」は、なんとなく東洋を感じたとか、ドリュアデスとパンが印象的だった、シマノフスキは初めて聞いたけど思ったより聴きやすかったと周りからもおっしゃっていただいて…僕が好きなのはナルキッソスなんだけど、それは置いておきましょう…
読んでいると、聴くひとの感性や嗜好を、弾く側や企画する側が制限するのが良くないんだと思いますね。どんないわゆる名曲も初めて体験するときがあるんだから。やっぱり、いわゆるクラシック音楽として似たものをずっと流していると、どんどん体験としての面白さが無くなって、生の演奏は苦しくなっていくんでしょうね。
前田さんと二人で「やってよかったですね〜」とほっこりしました。
ご来聴のみなさま、ありがとうございました。
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