こんにちは。
人間形成の場、エンパワLabo有岐です。
皆様いかがお過ごしでしょうか。
社会が作った構造の中で、人が完全にフィットして生きるって
難しいと感じませんか?
今の世界って、サラリーマンが多いじゃないですか。
っていうか、優秀なサラリーマンになるために必死に小さい時から頑張ってる。
優秀な「ネジ」になることが『正しい道』だって、まあ刷り込まれてきてるんですね。
本来、人はそれぞれ「やりたいこと」を持って生まれてきています。
自分が「体を持ってこんなことをしてみたい」と設計してきているとしたら?
あなたの設計図はどうなっているのでしょうか。
不思議なもので「魂の設計図」では、うまく『2つの魂』を使うようになっているんです。
こんなことを考えたことがありませんか?
—自分はなぜ生きているのか。自分の生命は、何のためにこの地球に存在する意味があるのか。
今日は、
魂のシステムとは『宇宙の法則』—現状から抜ける「何か」
そんなことを書いてみようと思いました。
最後までゆっくり読んで頂けると嬉しいです。
魂のシステムとは
私たちには、2つの魂があります。
魂のシステムでは、
若い頃は、「1つ目の魂」を使います。
それは、「自分だ」と認識している魂です。
私たちは、「三日月」のような欠けのある存在で生れ落ちます。そして、その欠けを埋めようとなぜか必死になるんです。
そして、それを求めて自分のものにすることが
「自分のしたい事」だって感じるんです。
愛を求めて傷ついたり、居場所のためにスキルを身に付ける。
認められたい、受け入れられたい、充足感を感じたい…そう求めるたびにへし折られる。そんな経験をしていきます。
誰かと結ばれても、時がたつと色あせる。
目標を達成した後、こんなものかと感じる。
それは、食べたいとずっと思っていたケーキ。でもそれ食べた後にはもう、ケーキ自体も思い出しもしなくなる…そんな感覚です。
パートナーと結ばれた後、一瞬でその情熱は煙のように消え去ってしまいます。
1つ目の魂は、自分が足りないと感じる「不足感」を満たそうともがく。
その経験が必要なんです。
それが、自分の人生の設計図のストーリの前半なんです。
その道中で1枚1枚と「エゴ」という洋服を着こんでいきます。
色んなものが、一つ一つ背中に背負ったクローゼットにしまわれていくのです。
さぁ、ここからが本番。
2つ目の魂は、あなたの後半の魂のストーリーです。
これを開かずに「本」を閉じる人もいます。
でも、ストーリーは後半が面白いんですよね。
あなたは今、人生の分岐点を感じていますか。
きっと今、これを読んでいる人は、そのタイミングなのかもしれません。
2つ目の魂—それが本当の自分です。
2つ目の魂は、沢山「服」を着込んだ後にしか現れません。
魂のシステムがそうなっているからです。
1つ目の魂には、ちゃんと役割りがあるからです。
表面的には社会人として生活ができている。でも、達成感がない。地に足がつかない。このままでいいのか、漠然と納得がいかない。
なぜなんだろう…
—その「問い」が《ふと》出た時からスタートなんです。
2つ目の魂「本当の自分」の声は、沢山の服に押されて、
とても微かで小さくなっています。
今、あなたが来ている「服」を、1枚ずつ脱いでいくことで、その声はだんだんと大きく聴こえるようになってきます。
ここで大切な決まりがあります。
それは、その服は「自分」でしか脱げないこと。
そして、少しずつゆっくりゆっくり脱ぐことです。
自分の中にある、幾重にも結んでいる、硬くて大きい結び目。
それを、一気に切ってしまうのではなくて、まず『緩めてほどく』んです。
—エゴを自分から「つかもう」と、躍起になるんじゃなくて、
緩むと自然に現れるのを「静かに待つ」んです。
・・・
今、はじめること
目に見える社会の構造は、何か手に入れたかったら「ゲット」しに行く必要がありますよね。
でも、魂のシステムは、「反対」なのです。
「頭で考えて人生を進めることをやめる」
—頭で、ああだこうだと分析して「わかろう」とする事をやめる。
脳は、単なるPCのデバイスです。
体の仕組みと同じなのです。
例えば、お腹がぎゅっとかたまっていると、『肚』は、「この人今、緊張しています」とサインを出します。
すると「脳」は、それを受信して、PCで検索して「では、緊張・興奮状態ですね。アドレナリンを出します」と神経やホルモンに指令を出します。
脳は「肚」の有能な部下といっていいでしょう。
脳は「わかろうとする」
肚は「知っている」—違うのです。
わかっても「脳」が満足するだけです。
2つ目の魂は、魂のシステムの中にあります。だから、全て「知っている」のです。
前回、「肚」は=宇宙だと書きましたが、そうなんですね。
脳で「分かる」をやめて、大きな海原に自分をゆだねるんです。
自分の中を静めて、感情に気づき、感情と恐怖にコントロールを握られていた、その支配権を、少しずつ少しずつ…自分の中心の軸に握らせるんです。
「気づき」を得ること
それには「止まる」こと
止まるとは、じーっと座禅したり、瞑想したりするのではないのです。
「自分の中」を止めるのです。
ここで、禅宗の歴史における最も有名なお話をさせてください。
これは、中国の唐の時代、禅宗のある高僧が、自分の後継者を選ぶ際のエピソードです。
六祖慧能(えのう)の物語と言います。
主人公、慧能(えのう)は、もともと貧しい木こりで、文字も読めませんでした。
禅師の寺に入りましたが、新参者であって文字も読めない。だから難しい経典を読むことができません。
他の僧と共に学べないので、裏方である薪割りや飯炊きの作業を命じられて、毎日黙々と働いていたんです。
ある日、後継者を決めるテストが実施されることになりました。
禅師は、弟子たちに「自分の悟りの境界を表現した詩(偈/げ)を出しなさい」と命じました。
すると優秀な弟子であり、誰もが後継者だと思っていた神秀(じんしゅう)は、次のような詩を壁に書きました。
身は菩提樹(ぼだいじゅ)の如く
心は明鏡台(めいきょうだい)の如し
時時に勤めて拂拭(ふっしょく)し
塵埃(じんあい)を惹(ひ)くなからしめよ
(身体は悟りの木のようなもので、心は磨かれた鏡のようだ。
常に一生懸命拭いて、塵や埃がつかないようにしなければならない)
まぁ、これは今のAIが書くような言葉ですよね。
その時、薪割りをしていた慧能(えのう)は、自分も詩を提出したいと言って、字が書けないので、代わりに壁に書いてもらったんです。
それがこの詩です。
菩提 本(もと)樹無し
明鏡も亦(また)台にあらず
本来無一物(ほんらいむいちぶつ)
何れの処にか塵埃を惹かん
(悟りの木など最初から無く、鏡も台など無い。
本来、世の中には固執するような物など何も無みなのだから、
どこに塵や埃がつくというのだろうか)
この詩を見た禅師は、慧能(えのう)が物事の本質。つまり、空や無の境界を完全に悟っていると見抜いたんです。
だから、その夜、極秘に慧能を部屋に呼び寄せて、禅宗の正統な後継者の証である「衣と鉢(法衣と食器)」を与えて、彼を第6代目の祖師(六祖)に指名したんです。
・・・
彼は難しい経典や学をもって「心眼」を開いたのではないのです。
毎日の薪割や飯炊きといった、毎日繰り返される日常の中で何をしていたのか。
「気づき」を得ること、それには「止まる」こと
—「自分の中」を止める
—無意識では、思考が勝手に暴走しますよね。感情も勝手に湧き出てくる。
彼がやっていたのは、黙々と日常をこなす中で「自己を観察していた」んです。
ただ観るのではなくて、「自分の中を止める」ことで。
それは、水の表面が水鏡に様な状態に自分がなること。
でもただ「静か」ではないんです。
周りで字が読める僧侶が修行する中、自分はその中にも入れない。
でも、与えられた仕事を黙々をこなす。
「自分だけの世界観」の中で、実力不足の自分をそのまま「抱きしめて」…
きっと自分に「問い」を出し続けていたのだと思います。
答えは、経典や外側になかったんです。
自分の中の「気づき」の連鎖の中にあった。
その中で創られてくるもの。
「揺れない」自分を信じることができる「何か」なのだと思います。
私は、そんな中で『心眼』は開いてくると感じています。
・・・
魂のシステムは、物質の世界とは「反対」です。
「頭で考えて人生を進めることをやめる」
脳で「分かる」をやめて、大きな海原に自分をゆだねる…
人生の道が長くて、遠回りばかりしているように感じているかもしれません。
でもきっと、いつも心の底では「本当の自分の人生をここからやってみるんだ」
そんな気持ちをずっと持ち続けてきましたよね。
あなたの「心の感触」を信じてみてください。
今日はここまで。
氣功師の有岐でした。
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