『人生を変える「自己統合」の旅』
第1回:〜なぜ私たちは、本当の自分で生きられないのか〜
こんにちは。人間形成の場、エンパワラボの有岐です。
皆様いかがお過ごしでしょうか。
2026年も後半に入りました。2021年から世界的に始まった衝撃的な変化の波。
あれから5年が経とうとしています。
5年前の自分。
今の自分と比べてみて、どんな変化が起こっていますか?
経済の変化だけでなくて、最近は道を歩くと、違う価値観や宗教観を持つ人々とすれちがったりして… 世界の変化は、もうはっきりと目に見えて現れていますよね。
あなた自身はどうですか?
自分だけが同じ場所で同じ苦しみの中で、変わらずに立っているように感じませんか?
私たちは、自分のことは誰よりもよくわかっていると思っています。
だって、辛くて苦しい時、その心をわかっているのは、誰よりも『自分』だけだからです。
この傷の痛みを本当に分かるのは、「自分」だけだから。
これを私たちは「自分をわかっている」「自分と向き合っている」 そう理解しているのかもしれません。
でも本当は…
自分が作った「物語」に、 自作自演で閉じ込められているのに‟気づいていない状態”だと言えるんです。
映画館の座席に座り、スクリーンの中の自分と一緒になって、悲しんだり、怒ったり、喜びに歓喜している状態なんです。
では一体、その「物語」はどこからうまれていると思いますか?
…それは、私たちが「役割」の仮面をかぶることから始まります。
家族に対して、また社会に対して「完璧な親」「従順な子ども」を演じます。
また、自分が評価の対象である場所では、「優秀な人」や「頼れる人間」の姿になるんです。
そして、恋愛や結婚では、関係の継続のために、自分の本音を抑え込んで、「物分かりの良い人」になったりもします。
松の木は、梅の木になろうとしませんよね。また、桜の花も薔薇になろうとはしません。
でも、人は、自分ではない「役」という、本来の自分ではない人格の中に自分を押し込んで生きているんです。
ここで、その物語はどうやってスクリーンに映っているのか、ちょっと想像してみてください。
私が小さい頃は、まだ映画館は客席の背後から映写機がフィルムを回して、前のスクリーンに映し出していました。
フィルムに収められているものは、台本に沿って役者が喜怒哀楽を演じた、情報が詰まっています。
つまり、フィルムは「モノ」ですよね。 フィルム自体に感情はありません。
つまり、フィルム自体は情報を集めた「構造」であって、「感情」自体ではないんです。
私たちは、座席に座ってその「構造」を見て、自作自演のストーリーに「ああだこうだと」解釈します。
そして、自分で感情を沸き立たせているんです。
・・・
自分には「2つの魂」がある
私たちには、2つ魂があることをご存じでしょうか。
・1つは「座席に座っている自分」。
つまり、あれこれ考えたり、感じたりしている、つまり、「自分」だと思っている魂です。
その魂は、物語と一体となって一喜一憂しています。
そして
・もう1の魂の視点は「映写機の視点の自分」です。
つまり、なぜ自分がその感情になっているのか、なぜそう考えるようになったのか…。
そんな「構造を読み解く目」です。
5年前の自分と現在の自分を見てみてください。
前と同じ、誰かに『認められていない怒り』、誰にも話さない『癒えていない傷』、または、自分自身に対しても『うまく隠している優越感』。
そんなものがあなたの中にありませんか?
受け入れがたい理不尽さ、受け入れがたい劣等感、受け入れがたいくやしさ。
その感情の中で乱され、腹が立って…。その上にからんでやってくる複雑な問題。
そして—そのせいでこころが常に揺れて落ち着かないでいる…
そんなこころの状態を抱えているのではないでしょうか。
『氣の内丹術』は、こころと身体を整える究極のメソッドです。
それは、人生を変える術と言えます。
まず、初めの段階は小さな山を登っていくことです。 それは、自分という『構造』を理解していくことです。
そして、その先の道は、まずその小さな山を登ると、自然に次の山の「入口」は現れる。…
そんな仕組みになっているのです。
自分のことはわかっていると信じて疑わずに、一生、座席に座ったままの人もいます。 または、人生の晩年に登り始める人もいます。
誰でも登り始める「タイミング」があります
そして、いくら望んでも、そのタイミングが来ないと始まらないものなんです。
私たちは生まれる前に『魂の設計図』というものを作成しているのです。
「これをしたい」「こんな風になりたい…」
そんな、心に浮かぶ「ソレ」は、魂の中に組み込まれているんです。
自分を導いてくれた「縁」もあれば、あなたに傷を負わせた「縁」もあるはずです。
家族やパートナーのような、簡単にどうすることもできない「縁」。
振り返ってみると、「あの時、あの出来事がなかったら、今の自分にはなっていないかもしれない…」
良縁も悪縁も実は、あなたが作った設計図通りに現れているんです。
その人生を変えるタイミングは、ちょうどあなたの準備ができた、その時が「来た」時点で始まります。
不思議に全ての必要な情報や人が流れるように集まってきます。
もしかしたら…今日のこの話も、その1つかもしれません。
自分という構造を深くわかればわかるほど、不思議なことに、今まで自分を怖れさせ、支配していた、他者や社会の真の姿がわかってきます。
人生の循環を受け入れる
皆様は、ロスチャイルド家をご存じかと思います。
世界の支配者とも言われる存在ですが、今から40年以上前に、日本のある禅のお寺の老師の元に「質問したいことがある」と、訪ねてこられたそうです。
その方は宗教は違えど、禅を深く勉強されていたようで、このような禅問答について質問されたそうです。
「木凋(しぼ)み、葉は落つる時如何(いかん)」
と弟子から問われて、
禅師は、「体露金風(たいろきんぷう)」
と答えたとあります。
木凋(しぼん)で、葉は落つる時とは、木が枯れて、落葉してしまった時。
—— 文字通り、『冬の時期』です。
そして、体露金風(たいろきんぷう)とは、どういうことかと言うと、
「金風」とは真っ赤に染まった紅葉の真っ盛りの時期。
つまり、人生における『ゴールデンタイム』を表すんです。
問答は、そんな冬の時期—「木凋(しぼ)み、葉は落つる時とはどんな時か?」と聞くと、その答えがゴールデンタイムだと禅師は答えたのです。
世界最強の富豪は、冬の季節がなぜゴールデンタイムなのか…。その全く正反対の答えが、一体どういうことなのかと、聞きたかったのだと思います。
皆様はどう考えますか?
繁栄のはしごを高く上れば上るほど、だんだんは地面が遠くなります。すると今度は、誰よりも高い場所にいるので、落ちる恐怖をより感じることになります。
はしごを登ること。これは、地位や権力、または「立場」と言えます。
何年も何十年もかけて作ってきた、自分の立ち位置、役割りがあります。
でも、一生枯れない花や、決して割れない花瓶がないように、「形あるものは、いつか壊れる」時期が必ずやって来るんです。
恋愛や結婚、子育てや役職…
周りは、「あなた自身」を見ているのではなくて、あなたが演じている「役割」に語り掛けているるのです。
『役割』は、いつか終わるタイミングがくるのです。
「木凋(しぼ)み、葉は落つる時如何(いかん)」
そう弟子から問われた時、 禅師は、なぜ「体露金風(たいろきんぷう)」と答えたのでしょうか。
—木が枯れ果てた、冬の季節。
それがなぜ反対である、 体露金風(たいろきんぷう)「真っ赤な紅葉の真っ盛りなのか?
これは「人生の循環を受け入れる力」ということやと思うんです。
考えてみれば、『自分を信じる力』とか、今『自分を支えている土台』って全て、苦しかった時の経験だと思いませんか?
頭を打って、自分がペチャンコになった時、その冬の時代の経験があったからこそ、今の自分があるんやなぁ…なんて思いますよね。
そうなんです。
人生には「春夏秋冬」が必ずあって、その循環の中でしか私たちは生きることができない仕組みになっています。
夏ばっかりなんて、できないんですよね。
でも、人は「冬」を嫌がるんです。
辛いこと、失敗を「受け入れ難い」と感じてしまうんです。
しかし、先ほどの話。禅師の「体露金風」の中に、その答えがあります。
冬にこそ、私たちは「種」を植えることができるのです。
木が枯れた、その冬の時期に「種」をたくさん植えた人はどうなるでしょうか。
春になると、自分が植えただけの「芽」が出るのです。
冬の時期が「体露金風」。
つまり、貯蔵庫に種を一杯に集める時期だということなんです。
冬の時代を避けて生きることは不可能です。
その中にいながら、それを「じっと受け止めることができる力」。
もしかししたら、それを少しずつ作っていくことが、生きている意味なんかもしれないと思ったりするんです。
・・・
日本には、今も武術の鍛錬の中とか、様々な「道」の中にそれを会得する方法が残っています。
花道や茶道、剣道や能…すべての所作の中にあるのが、『呼吸』そして『間』です。
それは、解説を聞いて脳で理解できる…そんな「外側」にあります。
ロスチャイルドの方が質問した際も、禅師は「そんなもん、座禅せんと解らんわ。」と、「がはは」と笑って終わったそうです。
人生が苦しい。仕事で家族のことで問題が次から次に起こり、対処してもしても終わりが見えない。
そんな冬の時期。
それが人によっては数年、数十年かもしれません。
受け入れがたい『理不尽さ』や、胸の中に重くなっていく『劣等感』。 そんな中で、複雑なことが入り乱れて、解決できない中で、どうしようもなく泡立つ「こころ」。
誰しも抱えていると思います。
その冬の時期、なんとか抜けようとして「対処策」を必死に探していないでしょうか。
今まですぐに何とかしようと対処した時のことを覚えていますか?
焼石に水ではなかったですか?結局、息つく暇もなく、また似た問題が襲ってきたはずです。
もう自分が立っていられないように感じた時。
そんな時は、——物理的なものを変えようとしない。
そのまま問題を解決しないで、ただゆっくり呼吸してみるんです。
怖いはずなんです。何とかしようと心は動くはずです。
表面の心は湧き立ち、『焦り』がでてくるのを感じると思います。
そんな時は、こう思うんです。
「自分の中で焦って、悩んだら、その分だけ物事は解決するのか?」
自分に問いを聞いてみるんです。
——策を練って、いくら頭と心を使っても、現実は簡単には変わらない。
だってそうやないですか? 大体の物事は、自分の力の及ぶ範囲の外側で起こっているんですから。
西洋的思想では、この場合、長い年月をかけて策を練ることによって、現実を変えようとするかもしれません。時間を味方につけようとするのです。
でも、冬を避けることは宇宙の法則上、できないのです。
「競争」・「争い」・「優劣」を延々と生きることになります。
そのままを受け入れてみるんです。
嫌な人、怖い相手、話が通じない人。
うまくいかない仕事、思い通りにいかない現状…
湧き上がるこころの渦を、感情を、静かな自分の中で「観察」してみてください。初めは表面的な「あれこれ」が出てくるはずです。
でもそれを繰り返すうちに… 次第に少しずつ、表面の下にある「モノ」が浮き出てきます。
今日はここまで。
氣功の 内丹術では、氣の注入により強制的に潜在意識へと入っていきます。
すると 顕在意識との壁の下に覆い隠してきたものが、繰り返すうちに表面に出てくるのです。
潜在意識と顕在意識の壁が取り払われてくるんですね。
そして、重厚な氣が入ることで、映写機の視点—もう1つの魂の視点が開花し始めます。
それを探せる「鍵」を持っているのは、自分だけなんです。
次回は、『氣の内丹術(こころと身体を整える究極のメソッド)』とは—『人生を変える「自己統合」の旅の第2回目です。
「潜在意識の下に隠しているモノ」について触れていこうかと思います。
本日も最後まで読んで頂き、本当に有難うございました。
氣功師の有岐でした。



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