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#02 揺れる心のまま、揺るがない「場所」で生きる。—あなたの中にある「もう1つの自分

Yuki.Kyoto


こんにちは。人間形成の場、エンパワLaboの有岐です。
皆様いかがおすごしでしょうか。

本日は、前回の続編です。最後までゆっくり読んで下さいね。


 

 

 刺激と反応の「間」にある空間 

 

ここで一人の人物を紹介させてください。 

ヴィクトール・フランクルは、第二次世界大戦中にナチスの強制収容所に送られたユダヤ人の精神科医です。アウシュビッツをはじめ、複数の収容所を生き延びました。

その体験を記した「夜と霧」は、世界中で読まれている有名な著書です。 

彼はユダヤ人で収容所の中で、全てを奪われました。
自由も、家族も、財産も、名前さえもです。人間が人間に与えられる最悪の状況の中を生き抜きました。 

彼はそこで、一つのことを発見しました。 

 

「刺激と反応の間に、空間がある。その空間の中に、人間の自由と成長がある。」 

 

それは、どんな過酷な状況が来ても、それに対してどう反応するかを選ぶ「自由」だけは、誰にも奪えないということです。 

 

刺激と反応の間に、「空間」がある。 

 

初めに書いた、メリーゴーランドの話を思い出してください。 
楽しさという刺激が来た時、私たちは即座にそれに反応します。終わりそうという刺激が来た時も、心はすぐに焦る。その刺激と反応の間に、本当に空間があるとしたら。 

その空間に静かに「在る」のが、意識の目ではないでしょうか。 

 

そして、そこにこそ「自由」があり、人間の霊性を高める「魂の成長」があると言っているのです。

 

日本人が大切にしている「間(ま)」。

その空間の中に「意識の目」があり、あなたがその「目」を使うかどうか。

それは、

どんな一生を‟生ききる”のかという、選択の自由があなたの手の中にあるということだと思うのです。 
 

 

 

 不動心の本当の意味 

 

「不動心を持て」とよく言われますよね。 

多くの人はこれを、心を動かさないこと、感情に揺れないこと、と理解しています。 

でも考えてみてください。

心とはそもそも動く性質のもんです。コロコロと転がる球を、止めることはできるでしょうか。止めようとすること自体が、自然に逆らっているとは思いませんか? 

不動心とは、動かない心ではないのです。 

 

動く心を、揺るがずに観ている意識のことです。 

 

揺らいでいい。揺れながら、色々なことを感じていくんです。

喜びも、悲しみも、怒りも、不安も… 

すべて感じていいんです。

そして、その渦の中にいて、「意識の目」でそれを静かに観察してみて下さい。 
 


初めは難しいかもしれません。でも、今日の話を頭の片隅に置いて、出来事が実際に起こった時、心が動揺した時、今日の話をちょっと思い出してみて下さい。 
 

その時、ゆっくり息を吸って、今度は漏らすようにゆっくり、ゆっくりと…
細く長~く長~く、少しずに息を漏らすように吐いてみて下さい。 
これを数分、自分の胸に椅子を置いて、そこにゆったりと座って呼吸を繰り返してみて下さい。 
 
 

「私は、今焦っている…」 

 

そう感じる事ができたということは、すでにもう焦っていないということに気づいてくださいね。 
そう感じる事ができたら、実はもうその渦の中から出ているんです。 

 

 

フランクルも、極限の恐怖と悲しみの中で生きた。それ以外の選択肢が、その時は許されなかったのです。感情を消したのではなく、その感情の波を、意識の目で観ながら生き続けたからこそ、「夜と霧」が生まれたのではないでしょうか。 

 

あなたが抱えている問題も、家族や仕事、経済面…他人事で済ますことができない、逃げられない事ではないでしょうか。

日々、向かいあわずにはいれない…そんな中でこそ観の目が必要なのかもしれません。

 

 

これが「観の目—もう1つ自分の」本質だと私は思うんです。 
よく「無心になれ」と言われると、感情を消す、心を空っぽにする、と言われますよね。 

心は空っぽにできるものではありません。心は動き続けるものです。 
 

止めるのは、心ではなく、 

意識がその玉に引っ張られて一緒に動くことです。 
 
 

武蔵の「観の目を強く」とは、意識が玉と同一化せず、ただそこに静かに在り続けることができる、その力を育てよ、ということなんんですね。 
 
川の流れを見ている岸のように。 
川は流れている。でも岸は動かない。 
岸という動かない意識に立って、

川の流れのように、止まる事のない心の反応を観る。 
 
その、ただそこにあり続ける「意識」を作っていくのが、内丹術なのです。 

 

 

 

 あなたの中にすでにある目 

 

3500年前から、人類はこのことをずっと語り続けてきました。インドのヨガ、中国の道教、日本の禅、ギリシャの哲学。時代も場所も言葉も違っても、皆が同じことを指しているんです。 

それはなぜだと思いますか。 

おそらく、これが人間の「本質」だからです。 

 

人には、根源的な誤りがあります。 
それは、 

「その時の心の状態が、永遠の真実だと錯覚する」  ということ。 

 

例えば、パートナーや付き合っている人が突然、 
「愛がなくなった」「好きでなくなった」と言ったとしましょう。
 
実際に起きたことは、新しい刺激によって心の玉が動いただけです。そしてその動いた瞬間の状態を、頭が言葉として固定した。

「愛がない」という言葉は、流れている川の一瞬を写真に撮って、「この川はこういう川だ」と決めつけるようなものなのです。 

 

人の心はコロコロ動くものです。 
でも人は動いているものに言葉をあてはめ、その瞬間の心を、まるで写真のように切り取ってしまうのです。 
「あの人はこうなんだ」と言葉にした瞬間に、その動きのあるものが固まってしまうのです。言語化とは、固定化するものだからです。 
 


相手にラベルを貼る方法ではなく、一度「観」の目で観察するとどうなると思いますか? 
流れる「川」である対象を、岸である「あなた」が観察するのです。 
 

 

きっと今までとは違う「視点」に気づくと思います。 
切り取った写真を何度も見返すのではなくて、流れる川を岸辺に立って眺めてみるのです。 
 
もし、今まで目の前のものを追う「目」だけで生きてきたのなら、 
これからは全体をじっと眺める、もう一つの「目」を持ってみて下さい。 
対象を観ている、「もう一つの自分」がきっと見つかるはずです。 

 

 

一をもって万を知る、という言葉があります。 

意識の向け方という一つのことができるようになると、すべてが変わる。

 

恋愛も、人間関係も、仕事も、自分自身との付き合い方も。 

あなたの中に、すでにその目はあります。 
ただ、使い方を思い出していないだけかもしれないのです。 

 

では、最後に… 

 

今この文章を読んでいるあなたは、文字を追う目で読んでいますか?

それとも、もう少し深いところで、何かを感じながら読んでいますか?

その違いに気づいた時、

すでに観の目は動き始めています。 

今回も最後まで読んで頂き、本当に有難うございました。
氣功師の有岐でした。

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This column was published by the author in their personal capacity.
The opinions expressed in this column are the author's own and do not reflect the view of Cafetalk.

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