もう10年くらい前だろう。3月のこと。
卒業した生徒たちから職員へのメッセージが寄せられた。
最初は「授業に入っていない自分には関係ないだろう」と思い、
読まずにスルーしようとしていた。
しかし、周囲に「読んでみろ」と勧められ、仕方なくページをめくった。
そのメッセージは、職員一人ひとりに向けた感謝の言葉を記名付きで綴るものだった。
大半は授業を担当した講師や学年主任へのメッセージで、特に驚きはなかった。
だが、読み進めるうちに自習室担当として顔を合わせていた
自分宛のメッセージが意外と多いことに気づいた。
自分宛のメッセージが意外と多いことに気づいた。
「ケイスケ先生の名前、結構あるぞ」と言われ、改めて目を通すと、
そこには思った以上の数のメッセージがあった。
もちろん、授業を担当していた同期には及ばなかったが、
それでも「すごい量だ」と周りから評価されるほどだった。
その中でも、心を揺さぶられたのは、ある生徒からのメッセージだった。
「自習室のときはお世話になりました。
先生の説明などがわかりやすかったです。
やさしくしてくださってありがとうございました。
大きくなったらケイスケ先生のような人になりたいです」
先生の説明などがわかりやすかったです。
やさしくしてくださってありがとうございました。
大きくなったらケイスケ先生のような人になりたいです」
その生徒は、どちらかと言えば問題児だった。
いつも気怠そうな態度で仕方なく自習室にいたようだった。
よくふざけてニヤニヤしていた。
私もニヤリと笑い返した。
いつも気怠そうな態度で仕方なく自習室にいたようだった。
よくふざけてニヤニヤしていた。
私もニヤリと笑い返した。
ふざけて書いたのか、真面目に書いたのかは分からない。
どういう意図で「自分のようになりたい」と書いたのかも分からない。
でも、その言葉を読んだ瞬間、涙がこぼれた。
「僕みたいな人間でも、そう思ってくれる人がいるんだ」と。
これまでの人生、ニート生活を送ったり、受験に失敗したり、
何度も自分を「ダメな人間」だと思っていた。
「人生の負け組だ」とさえ感じていた自分にとって、その一言は救いだった。
仕事に真面目に取り組んできたつもりだったが、
自分の行動が誰かに影響を与えたとは想像していなかった。
しかし、その言葉を読んだとき、自分がこの世界に「確かに生きていた」ことを実感した。
ニート生活では得られなかった、生きている喜びがそこにあった。
生徒へ、ありがとう。
君の言葉で、僕がこの世界で何かを刻んだことを知ることができた。
君が思い描いた「僕」に近づけるよう、これからも努力するよ。
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