社会に出たばかりの頃、
私はしばらく「正社員」と呼べる立場を持たずに過ごしていました。
アルバイトはしていたものの、生活は決して楽ではなく、
将来のことを考える余裕も、あまりなかったと思います。
ちょうどその頃、
祖父と祖母が、相次いで亡くなりました。
台湾では、
高齢の家族が自然に老い、穏やかに人生を終えた場合、
その後に残されたお金は「福」を伴うものだと考えられています。
金額の大小は関係ありません。
たとえ数十元、数百元でも、
それは「運が動き始めたしるし」だと言われます。
このお金を、台湾では
**「手尾銭(しゅびせん)」**と呼びます。
ある時、私はふと気になって、ChatGPTにこう尋ねました。
「台湾の“手尾銭”って、どういう意味ですか?」
返ってきた答えは、間違いではありませんでした。
けれど、それは広東語圏で使われる意味に限られていました。
——人としての振る舞いがよく、物事が順調に進んだ結果、
仕事の終わりに自然と付いてくる、ささやかな報酬。
時にはチップのような意味合いにもなる、と。
しかし、
閩南語文化圏の台湾における「手尾銭」は、少し違います。
それは、基本的に「使ってはいけないお金」です。
銀行口座に入れて、
「お金が増え続けますように」と願う人もいれば、
起業を目指す人は、
赤い封筒に入れて枕の下に置き、
将来の基盤として大切に保管します。
——いずれにしても、手を付けてはいけないものとされます。
では、
私は祖父母から受け取った手尾銭を、どうしたのか。
正直に言えば、
伝統的な使い方は、しませんでした。
起業したい一心だった私は、
そのお金で食べ物を買い、
——全部、自分のお腹に入れてしまったのです。
冗談のようですが、
当時の私は本気で、こう思っていました。
**「健康な体こそが、いちばんの起業資金だ」**と。
食べられなければ、体力は続かない。
体力がなければ、働けない。
働けなければ、未来は作れない。
結果的にその後、
私は安定したフルタイムの仕事に就き、
生活も少しずつ落ち着いていきました。
今振り返ると、
あの時の判断も、ひとつの「巡り合わせ」だったのかもしれません。
そして去年、
実の父が亡くなりました。
台湾では、労働保険に加入していれば、
直系家族を亡くした遺族は、
一定の給付金を受け取ることができます。
私はそのお金を、
「補償」や「制度」としてではなく、
自然と、
父が残してくれた手尾銭だと受け止めました。
今回は、もう食べてしまうことはありませんでした。
けれど、
銀行に預けて動かさない、という選択もしませんでした。
私はそのお金で、
録音機材と撮影機材を購入しました。
そして、YouTuberとして歩き始める準備をしました。
会社という枠組みに縛られず、
職場の空気や理不尽な圧力に耐え続けるのではなく、
自分で仕事を選び、
自分で責任を取る——
フリーランスとして生きる道を選んだのです。
今回は、
「お金でお金を回す」という形で、
手尾銭を使いました。
それは、賭けではありません。
受け取った祝福を、
次の流れへとつなげるための選択でした。
人生の最後に、
父が私に残してくれた、
この静かな贈り物に、
私は心から感謝しています。
そして今は、
この手尾銭を「守る」だけでなく、
自分の人生として、きちんと生かしていくことが、
何よりの供養なのだと思っています。
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