外側に振り回されるのは、まだ「自分が空っぽだから」★自分軸とは?

Yuki.Kyoto

あなたには「自分の軸」がありますか?
 

誰かに振り回されず、迷ったときに立ち返れる“拠り所”のようなもの。

 

「自分の軸を持って生きなさい」とよく言われますよね。

 

実際は・・・

「自分らしく生きたいのに、気づけば人の顔色をうかがっている」

「正しさの答えを探すばかりで揺れてばかりいる」

 

そんな自分がいます。

   ──でも、人ってそんなに完璧じゃないですよね?

 

 

 

その“軸”って、そもそも何だと思いますか?

強い信念? 揺るがない自信?
 

もしそうだとしたら、多くの人はすぐに不安になってしまうはずです。

 

 

では、その“軸”とは一体何なのでしょうか?

 

 

宮沢賢治の「雨ニモマケズ」

 

雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち

 

欲はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている

 

一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ

 

あらゆることを
自分をかんじょうに入れずに
よく見聞きし分かり
そして忘れず

 

野原の松の林の陰の
小さなかやぶきの小屋にいて

 

東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいと言い
北にけんかやそしょうがあれば
つまらないからやめろと言い

 

日照りのときは涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き

 

みんなにでくのぼーと呼ばれ
ほめられもせず
苦にもされず

 

そういうものに
私はなりたい

 

これは、

宮沢賢治が病床で書き残した「手帳の詩」です。

 

 

この中の・・・

 

みんなにでくのぼーと呼ばれ
ほめられもせず
苦にもされず

 

皆さんはこの言葉を読んでどう感じましたか?

 

 

今の世の中は、

みんなに「でくのぼー」と呼ばれないように、

「成功」や「有能さ」といった、世間的価値観で「軸」を探すことばかり

教わってきているような気がしませんか?

 

 

社会から「お前はもう価値がない。能なしだ。必要ない。」

そういって切り捨てられる今の世の中で、

私たちは、1つの大きな機械の中の「意思のない有能なネジ」の1本になる事を

無意識のうちに強制されているのではないでしょうか?

 

でも彼は、

役に立たない人間・愚か者と見なされても

「気にしないんだ」

そういうこころを感じます。

 

 

さらに・・・

「ほめられもせず 苦にもされず」

そう言ってます。

 

褒められても舞い上がらず、苦にされても沈まない。

それは、

人にどう見られるかではなく、外からの評価に執着しない心

 

 

彼は最後に「そういうものに、私はなりたい」と語っていますよね。

それは、悩み、理想に届かない自分を知っているからこそ、

あえて「なりたい」と願うのだと思うんです。

 

「理想」であって「現実の自己」ではないんです。

 

 

私には、病床に生きて実現できない身体でありながらも、

“目立たない灯火”のような「軸」を持ちながら、

書いたんじゃないかなぁと感じました。

 

どんな人も、初めは「初心」だったのに、

スキルや能力が付いて「結果」が出始めると、それに伴って「お金」と「立場」を得ます。

 

すると、人は──

「調子に乗る」。

 

言葉や行動が変化してきます。

 

言っていることとやる事が一致しない。

時間を守らない。

約束を守らない。

言い訳をする。

 

これは、特別なことではなく、ごく普通に起こる変化だと思います。

 

 

仏教の言葉で

「八風不動(はっぷうふどう)」

という言葉があります。

 

人の心を揺さぶる「八つの風(はっぷう)」、

8つの風がある、ということ。

それは・・・

  • 利(り) … 利益を得ること

  • 衰(すい) … 損失や衰退すること

  • 毀(き) … そしられる、非難されること

  • 誉(よ) … 褒められること

  • 称(しょう) … 名声を得ること

  • 譏(き) … そしりや悪口を受けること

  • 苦(く) … 苦しみを受けること

  • 楽(らく) … 楽しみを得ること

      ⬇️

  ・利益や損失

  ・褒めやけなされ

  ・名声、悪口、そしり 

  ・苦しみ、楽しみ

 

そんな「風」が吹いている中で、私たちは生きているんだよ、ということ。

 

 

私もつい、褒められたら喜び、けなされたらムッとする感情が当たり前にでます。

洗濯機の「ON」のボタンが、それはもう自動でポッチっと・・・

 

 

 

 ✨人はなぜ「八風」に夢中になるのか?

それは、人間の「生存本能」

人間の脳は「利益=安心」「損失=危険」と結びつける仕組みをもっています。

 

誉められると仲間に受け入れられる=生存確率が上がる、と感じる本能です。

 

誉められ・得て・楽しい時、

自我(エゴ)に

「私は価値がある‼」と栄養がドバ~っと与えられるんです。

 

逆に、そしられ・失い・苦むと

「私は価値がない!」と

脅かしのエネルギーが注ぎ込まれます。

 

 

人間は身体を持つ動物なので、

執着(渇愛)の気持ち

もっと得たい、失いたくない。もっと誉められたい、けなされたくない・・・

 

そう感じる事から逃れる事ができないんです。

 

だから「八風」に翻弄されてしまうのです。

何も知らないと、ただ人生をそれらに弄ばれてしまう事になります。

 

 

みんなにでくのぼーと呼ばれ
ほめられもせず
苦にもされず

 

そういうものに
私はなりたい

 

 

「でくのぼー」は、一見「役立たず」と見えるけれど、

裏を返せば「八風に揺れない人」
 

つまり「人からどう見られるか」という評価軸から「自由」なんです。

 

彼は「法華経」の利他の精神を、仏教の難しい言葉でなく「物語」として表現していますよね。

 

 

「雨ニモマケズ」は、彼の死後、手帳に書き残していたものだったそうです。

 

だからこそ、動けなく病弱な身体の日々の中で、

世間から見れば愚か者に見えても、

内には八風に動かされない静けさがある。

 

彼の中にある軸、つまり

 

「自分の価値を外の評価ではなく、内なる軸に置くこと」

「八風不動(はっぷうふどう)」

 

そう私には思えて、深く感銘を受けたわけです。

 

 

八風は外からの刺激。そこに振り回されるのは、まだ「自分が空っぽだから」

 

 

「でくのぼー」を受容できるのは、

外の評価に依存せず、自分自身の存在に深くOKを出せた・・・

 

そんな時に徐々に少しずつ培われていくもの。

 

つまり「自己承認」「自分を知る」こと。

 

 

「外からの価値ではなく、自分の存在をそのまま承認すること」

 

それは、外の条件から「自由」になることなんです。

 

 

「軸」は、技や技術で会得するものじゃなくて、もっと静かで、

日常の経験の延長線上にあります。

 

 

日常の出来事の「物語」の中じゃなくて、

その映画を「観客席」から見ている、「存在」でただ観察してみる。

 

自分は観客で、ただ物語を見ているだけなので、

そのストーリの中で、演者が感じる痛みや悲しみ・・・

それは、スクリーンの中だけの話。

 

観てる観客は、痛みは感じません。
それは・・・

今までかけていたレンズを外し、ただありのままを見はじめる過程なのです。



私のエンパワLaboの氣功「エネルギーマスタリーレッスン」は、この両輪を支える道のレッスンとなります。

氣がわかる、瞑想に入る・・・そして、心の「軸」は、己を知ることで自然と姿を現してきます。

 

 

 

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

「エンパワLabo・人間形成の場」
氣功師の有岐でした

專欄文章僅為講師個人觀點,不代表 Cafetalk 立場。

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