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感じすぎて、傷ついて、自分を嫌いになってしまうあなたへ①~HSPとADHDの繊細な心~

Yuki.Kyoto

こんにちは、エンパワlabo 氣功師の有岐です。

今日もゆっくりと読んで頂ければ嬉しいです。

 

 

まわりのちょっとした言葉や空気が気になってしまう。
人の気持ちに敏感すぎて、誰かの一言が何日も胸に刺さる。
やろうとしてるのに、なぜか体が動けない。
 

「ちゃんとしなきゃ」と思うほど、どこから手をつければいいかわからなくなる。

でもどうしても動けなくて、こなせなくて・・・
そしてまた失敗して、そんな自分にがっかりしてしまう……

 

あなたはきっと誰にも見えないところで、たくさんの涙を飲み込んできたはずです。

 

 

 

学校に行こうとして、会社に行こうとしても、玄関の前でうずくまって動けない。

電車に乗るのが辛い・・・

周りの「ちゃんとするべきだ!」という目にさらされると、呼吸が苦しくなる。

 

本当は努力してる。頑張ってる。誰よりも気にしてる。
なのに結果だけ見られて、「またか」と言われてしまう。
「そんなの言い訳だろ」と言われる。
その度に、だんだん自分のことを嫌いになっていった――

 

 

きっとあなたは、いつも誰かの気持ちを考えてきた人。
空気を読んで、表情を読み取って、
「自分がどう感じるか」よりも、「相手がどう思うか」を優先してしまう。

「売上」や「人気」、「評価・成績」「見えるものが自分の価値だ」と世界が言うのに飲み込まれてしまう。

だからこそ、人に合わせすぎて、自分の限界を超えてしまって、

これ以上1歩も歩けなくなっているのではないですか?

 

 

あなたは、誰かの中に自分の理想を見ると、
その人のことを信じたくなる。
「この人だけは自分をわかってくれる気がする」
「やっと見つけた、本物のつながり」

 

そう思ったとき、子犬のように無防備に信じて全力で尽くしてしまう。
自分の時間も、エネルギーも、気持ちも。

 

 

でもね――
人は誰でも、完璧じゃない。
理想の通りに応えてくれる人ばかりじゃない。

そしてあなたは、それで傷つき、
また自分を責めてしまう。

だけどそれは、弱さじゃなくて、あなたの優しさなんです。

 


「自分が何をしたかったのか」も「どこまで無理してたのか」も、

気づくのはずっと後。

気づいたときにはもう、心も体も限界で……
「人のために頑張ったのに、うまくいかない」

 

 

誰かを思いやる力が強すぎると、
いつの間にか、自分の感情と相手の感情の境目がわからなくなる。

「助けたい」「守りたい」と思って動いたのに、うまくいかず、
「自分のせいだ」と自分を責めてしまう……

 

 

そんなふうに、毎日を必死にこなそうとしているあなたへ。

その繊細さゆえに疲れ果て、自分を責め、

「迷惑をかける自分なんていない方がいい」とまで思い詰めてしまう

 

そんな、優しさの中で苦しんでいるあなたに、
「あなたのままで、もう十分だったよ」と伝えたくて、この文章を書いています。

 

 

 

 

1. 感じ取りすぎる力=“欠けたところを埋めようとする心”

 

繊細で感受性が高い人は、こんな事があります。

たとえば、誰かがふと見せた優しさ、「ありがとう」と言われたときの声のトーンや

自分を気にかけてくれたようなまなざし。

「大丈夫?」と何気なくかけられた一言。

 

他の人にとっては何でもない事。

でも繊細な人にとっては、そんな小さな出来事が胸に深くしみ込んで、大きな意味を持つことがあります。

 

どうしてそんなに「優しさに敏感」に強く反応してしまうのか――
それは、ただ「感受性が高いから」というだけではありません。

 

実はその奥には、自分の中にずっとあった欠けたもの――

「分かってもらえなかった」「安心できなかった」「愛された実感がなかった」
 

そうした幼いころからずっと満たされなかった、渇きや孤独が、ずっと心の奥で叫んでいるんです。

 

  • うまくいかなくても「大丈夫だよ」と言ってほしかった。

  • 泣いている時、そっと寄り添ってほしかった。

  • 怒られた時、否定ではなく理由を聞いてほしかった。

 

そんな当たり前のようでいて、与えられなかった経験が、
「愛された実感がない」「分かってもらえない」「自分には価値がない」という無意識の痛みを心の奥に残すのです。

 

それが“欠けたもの”です。

 

☘️☘️☘️

子供の頃に周りとの比較の中で、自分には上手くできない事がありませんでしたか?

そんな時大人は、問題を「どのように解決するか」、「何が良くて何が悪いのか」、

そういった物後を「判断」して対処しようとします。

それは全て「比較」からでた考え方です。

白か黒の判断基準に答えを当てはめるなんておかしいですよね。

 

本当は、「なぜできなかったのか?」子供の心を聞いて、ただ「寄り添う」事が必要だったんです。

「なんでそうなったの?」

すると答えは、100人いれば100通りあったはず。

☘️☘️☘️

 

私達は誰でもその“欠けたもの”を持っています。

「愛された実感がない」「分かってもらえない」「自分には価値がない」

そうした渇きや孤独が、ずっと心の奥で叫んでいるのです。

 

だからこそ・・・ほんのわずかな優しさに「過剰」に反応してしまう。

その空白を、誰かの優しさが一瞬だけ埋めてくれるように感じてしまうんです。

 

 

「これだ」「やっと見つけた」――そんなふうに、わずかな温もりに命綱のように希望を託してしまうんです。

 

それは決して“依存”や“甘え”“弱さ”ではなくて、

長い間、孤独や否定の中で耐え続けてきた心が、「ようやく救いが見つかった」ような感覚なのではないでしょうか。

 

 

誰かの中に、自分を受け止めてくれそうな“安心”や“理想”を見つけたとき、
無意識に、「この人ならきっと大丈夫」「この人なら満たしてくれる」
そう感じて、だからこそ過剰に託してしまう。

相手に期待しすぎてしまう。

 

でも、それが「過剰」だったと気づくのは、いつもあとになってから・・・

そして、期待と現実のギャップに、また深く傷ついてしまう。

自分を責めて、「迷惑をかける自分なんていない方がいい」とまで思い詰めてしまう事もあるんです。

 

 

でもそれは、「自分の中にまだ癒えていない“欠け”がある」

という自然な反応なんだという事をまず知ってくださいね。

 

 

あなたの“感じすぎる力”は、本来とても素晴らしい「才能」なんです。
でもそれが、自分の中にあった「満たされなさ」と結びついたとき、
優しさを受け取ることが、
いつの間にか「その人に依存すること」にすり替わってしまうことがあるという事なんです。

 

だからこそ大事なのは、
「誰かに満たしてもらう前に、自分の“欠けた部分”に気づくこと」なんです。

 

ここまで・・・

*なぜ「やさしさ」「理想像」に強く反応するのか

*その背景にある“欠けたもの”とは何か?

*それが過剰な期待として投影される理由

の3つをお話してきました。


繊細なあなたの「心を守る第一歩」、さらにお話していきますね。

 

 

 

2. 境界線の薄さ=自他の区別がつきにくい

このテーマは、HSPや繊細なADHD傾向のある人にとって、とても深く根っこのある話です。

自分の感情と相手の感情の区別がつかないことで、苦しみがどんどん「増幅」されていく構造があるからなんです。

 

☘️☘️☘️

誰かがイライラしていると、自分の胸も苦しくなる。
相手が悲しそうな顔をしていると、自分まで同じ感覚になりやすい。

まるで相手の感情が、自分の中に直接流れ込んでくるような感覚。
それがあなたの“感じる力”であり、同時に“境界線の薄さ”の正体です。

普通なら、他人の気持ちに触れても「それはその人の感情だ」と心にフィルターをかけられます。
でも、繊細な人はそのフィルターが限りなく薄くて、
まるで自分の感情のように相手の内面を受け取ってしまうのです。

するとどうなるか――

あなたはいつもこう思っていませんか?
 

「あの人がつらいなら、私がなんとかしたい」
「私の言い方が悪かったのかも・・」
「もしかして、私にも原因の一部があるのかも・・」
……そんなふうに、自分を責める材料がどんどん増えていくのです。


そしてある日、気づきます。
「私、誰のために生きてるんだろう?」
「私の“本当の気持ち”って、なんだったかな?」

自分がこれからどうすればわからなくて・・・「もう面倒くさい」

 

今、そう感じていませんか?

それは、「 境界線の薄さが引き起こす疲弊」です。

 

 

境界線が薄いというのは、他人に対して優しすぎるというだけでなく、
「自分自身に対して無関心になってしまうこと」でもあるんです。

他人の気持ちに敏感になるほど、
自分の本音がどこかに押し込められていく。

 

 

本当は嫌だったのに笑う。
本当は休みたかったのに、元気で平気な仮面をかぶる。

本当は寂しくて、小さく縮こまっているのに、力のあるように威勢よく演じる。

 

そんな・・・“ズレ”が蓄積していくと、
ある日、心がプツンと糸を切るように「もう無理」とささやくんです。

 

 

 ✦大切なこと✦

 

 

あなたの優しさは、誰かの救いになってきたかもしれません。
でも、自分の境界を守れなかった優しさは、
やがてあなた自身を壊してしまうことがあるんです。

 

 

この競争と比較の世界の中で、あなたの本質のやさしさを守るためには、

何をする事が必要でしょうか?
 

それは、“他人の感情”と“自分の感情”を切り分ける練習です。

 

??「それはその人の課題。相手の課題を自分が背負うことをやめる」
??「私は私のままでいていい。 

  外側の評価基準に合わせようとしない。自分自身との“ズレ”をもう無視しない。」

 

あなたの「そのまま」を誰かに受け入れてもらうのではなく、まず「自分」が受け入れてあげるんです。

 

「自分は寂しいんだな。」

「孤独を感じているんだな。」

「誰かに受け入れてもらいたいんだな。」

「そうか、だから辛いと感じているんだな。」「わかったよ、わかったよ。」

そう心の中でつぶやいてみてください。

 

外側に力を使うのではなくて、自分の内側に力を使ってみて下さい。

そうすると少しずつ、少しずつ・・・あなた自身の「輪郭」が戻ってきます。

 

 

 次回に続きます。
最後まで読んで頂き、有難うございました。
氣功師の有岐でした。

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本コラムは、講師個人の立場で掲載されたものです。
コラムに記載されている意見は、講師個人のものであり、カフェトークを代表する見解ではありません。

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